タクアパオールドタウン 〜かつて錫鉱で栄えた古の街
1932年にタクアパ市は現在のパンガー県下に。それまでのタラット・ヤイという名前から現在のタクアパになった。現在の中心市街地は、オールドタクアパ(スリ・タクアパ)から北へ約7kmにあるタクアパタウン(ヤンヤオ)に移り、市民の生活の場となっている一方、オールドタクアパタウンは、時が止まったかのような、いやタイムスリップしてしまったようの古の街になっている。だがオールドタクアパタウンにも歴史あり、華々しい時代があったのです。
1800年代後半、ヨーロッパからの船が錫鉱を求めタクアパに入港し、イギリス、オランダ、ポルトガル企業は錫の採掘作業を展開し、タクアパは採掘バブルを迎える。同時に、採掘労働者として連れてこられた多くの中国人がその後この地に住み着くことになる。 1920年代、30年代は錫の最盛期だった。しかし、徐々に錫の価値が下がり始めると、多くの外国人企業家は事業を中国人に任せタクアパを離れ帰国していった。 そして1985年には最後の採掘場も幕を降ろすことになる。地元のタイ人と結婚しこの地で生活をする中国移民達の子孫は、プラナカンやババ、ニョニャと呼ばれ現在に至っている。この時代に財を築いた中国人移民も多く、街を散策するとその当時を豊かさを垣間見ることができる。 |
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街の見所
シノポルトガル建築と知事邸宅跡地
輝かしい時代の産物は、街の周辺に点在している。錫の採掘業で富をなした中国人移民によって建てられた、シノポルトガル様式の建築物はシリ・タクアパ通りに今も残っている。 通りの角には、タイで昔から飲まれている”コピ”と呼ばれる甘いコーヒーを飲めるノスタルジックなルックスのカフェが。1917年に建設された2階建シノポルトガル様式お屋敷は、初代タクアパ知事の邸宅(Khun Intrakeeri House)。屋根の修復がされ外観も塗り直されているが人は住んでいない。お屋敷の先には学校も残っている。 街の中心と南には中国寺、1857年に建てられた知事官邸の周りを囲っていた防壁の一部が遺跡のように残っている。街の中に歴史を見つけることができるタクアパオールドタウン。散策後に、コピを飲みなが当時に思いを馳せてみるはいかが? |
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オールドタクアパカルチャーウォークストリート
乾季になると、毎週日曜日の夕方からシリ・タクアパ通りが歩行者天国になり、タクアパの地元スイーツや屋台などがでて賑わう。街の昔の様子や当時使われていたものが今ではアンティークとって展示しているスーペすもあります。 最近では、中国系タイ人の若い世代が海外留学から帰国したり、バンコクでの生活からUターンして自分たちの街の良さ伝えようと、町起こし的な動きが始まっている。新しい風がこの街に再度輝かしい時代を取り戻してくれるのかも!? 毎年11月下旬から毎日曜日午後15から開催されています。 |
中国寺とベジタリアンフェスティバル
観音様を祀る立派なお寺”アム・タイ”。本堂隣の祠に観音様を祀り、本堂には医学の神様で知られる保生大師や、船乗りや漁師に崇拝されている海の女神媽祖(まそ)様、ほかにも建物の奥には何体もの神様を祭っている。 毎年旧暦9月には、9日間のベジタリアンフェスティバルを主催し、信者は白装束で9日間菜食のみで体を清める。マーソンと呼ばれる人たちが祭りの間、降りてくる神様に身を捧げ、頬に金串などを刺し信者の住む街を練り歩く。信者たちはマーソンや御神体を乗せた神輿に爆竹を投げ幸福を願う、境内で火渡りなどの苦行も行われる道教の奇祭。 この祭りはプーケットが盛大に行われ有名だが、タクアパにも中華系タイ人の人口が多いので、こちらでも立派なお祭りが開催される。 開催期間は、陰暦9月1日から9日間。ベジタリアン料理が食べれるのもこの時期の楽しみ。ソイプロテインで作るなんちゃって肉や魚の料理も一度試してみては。コピを飲めるカフェの向かいと並びには”グアン・オン”寺があり、小さいお寺だが色鮮やかな龍の飾りや扉の絵は立派。 |